哲学舎という名の美術館館長が綴る草想ブログ


by lampnosizuku
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祈りを・・・カタチに


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今年も、無事に新しい年を迎えられたことに感謝である。

日付が変わるだけのことであるが
やはり元旦を迎えると、想いや意識を新たにせざるを得ない。

僕も、樹木に例えると、もう老木の入口に立つ歳となって来た。
風雪に耐えた一本の樹のように、いろんな困難に耐えて来た自分が此処にいる。

耐えかねて、無念にも土に還って行った友たちがいる。
だが、土の中では僕と根っ子で繋がっていることを忘れるわけにはいかない。

彼らの見ていた夢が、僕の中で芽吹いていることが分かる。
成熟した樹木が、不要な葉を落として必要な実だけをつけるように僕もそうありたいと思う。

自分の非力さによって叶わぬ夢も確かにある。
おそらく、それは我欲にとらわれているからだと思う。

新年には、実に多くの人たちが初詣で神仏に祈るのであるが
その祈りの中身が、我欲ではなく、他者に対しての祈りならば叶えられるような気もする。

祈りの本質は、本来、私利私欲からは程遠いものであろう。
祈りが通じるという経験は、おそらく誰しもあると思う。

僕には若い頃から、祈るという習慣があるのだが
我欲の入った祈りは、神仏もお見通しで、ほとんど通じない経験がある。

やはり、祈りは無私の意識で、他者のために行うものでなければ通じないようだ。
この数年は、経験からいっても、その想いを特に強くしている。

祈りが通じるというのは、本当なのであるということが
いろんな実験によっても判って来ている。

決してカルトの話ではなく、科学的にも証明されつつあるのである。
祈るという意識は、古来から、人間本来の当たり前の行為なのであろう。

今年も、自分のためにではなく、他者のために祈ることを心がけたいと思うし
自分も誰かに祈られている存在だということを忘れないで、感謝していたいと思う。

特に、今年は日本の未来を決定づける選挙が控えている。
ネットが普及し、誰もが情報を入手できる環境になって来た。

だが、残念ながら、社会や政治の裏を、マスコミのトリックなどを探る機運は乏しい。
衆愚政治に気付いた若者たちも少し出て来たようであるが、真実を見つける眼は余り育っていないようだ。

思想や信条や宗教や人種や障がいなどで、他者を排斥し差別する人たちは
いつの時代も、彼らのコンプレックスから発生していることが殆どであると思う。

残念ながら、人間は、本当に進歩しない生き物である。
申年だからではあるまいが、人間と猿のDNAは98.8%一緒だということが判っている。

たった、1.2%が人間を人間たらしめているのである。
猿に対して威張っている場合ではない。

殺し合うのは人間の方である。
できることなら、あと1%くらい猿に譲って、彼らから学びたいくらいである。

今、私たちは、殺し合う人間の側にいるが
戦争になれば、否応なく、自分も、子どもも、孫も、殺されるか殺すかの選択肢しかなくなるのである。

難民を排斥する人たちは、自分が難民になったときのことを考えようとしない。
人種差別をする人たちは、自分が差別される側になったときのことを考えようとしない。

それは、そうなったときの自分を考えると恐怖するからである。
子どものいじめと決して変わらない構図が、そこにはある。

では、そんなときに、猿たちはどうするのか。

今年は、それを真剣に考える必要に迫られている選挙があるのである。

本当に、真剣に、未来に対して平和というものを希求するならば
みなさんの祈りを、カタチに変えてほしい、申年である。
by lampnosizuku | 2016-01-01 22:30 | daily