哲学舎という名の美術館館長が綴る草想ブログ


by lampnosizuku
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祈り  2013


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穏やかな柔らかい光を放ちながら、元日の太陽が顔を出した。
その無垢な眩しさに、思わず目を閉じてしまう自分がいた。

こんなに静かな年の始まりは、何年ぶりであろう。

ただただ地球が時を刻んで、2013という新たな一年が始まった。
果たして人類の叡智は、今年は一体何をもたらすのであろうか。

叡智が叡智たらんことを祈るばかりである。

各地の神社やお寺では、例年以上の初詣客が押し寄せているという。
日本人口の半数以上が、神社などで願い事をするわけである。

願われる神様の方も、あまりの多さに困惑しているのではないかと思いたくもなるが
そこは、八百万の神であるから、何とか聞き入れているのかもしれぬ。

神様の立場に立ってみれば、賽銭の多寡で決めるわけでもなかろうが
あまりに利己的な自分本位の願い事には、頭を抱えているはずである。

本来は、自然の叡智に対する感謝の念が祭事の始まりであったが
いつの間にやら、感謝の念が抜け落ち、御利益ばかりを求めるようになってしまったようである。

初詣したところで、自分本位の願いが叶うはずがないと分かっていても
正月が来れば、出かけてしまうのが人間の性かもしれない。

そういう僕も、地元の氏神様には初詣に出かける。
ここに住まわせていただいているお礼を兼ねてではあるが、願い事もする。

悪い意味での他力本願ではないが、自力を尽くした先の他力である。
人事を尽くして天命を待つである。


僕には就寝前に、神に祈る習慣がある。
中学1年のころから、近くのプロテスタント系の教会に通っていたせいもある。

毎週日曜日には礼拝に参加し、祈ることが当たり前になっていた。
だが、20歳くらいまでは、祈りの中に結構利己的なものが多かった気がしている。

もちろん今でも、個人的な祈りをすることもあるが
その後は、自分以外の存在のために祈ることが多くなったと思う。

それも、歳を重ねるごとに、自分の非力さや存在の小ささ
人間としての能力の限界を感じているからかもしれない。

自力を尽くしても、どうにもならない現実がこの世には存在する。
それを運命と云ってしまえば簡単だが、それでも叶えたい理想が人にはある。


だから、神に祈る。 自分を生かしめているものに祈る。

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by lampnosizuku | 2013-01-01 17:17 | daily