哲学舎という名の美術館館長が綴る草想ブログ


by lampnosizuku
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寒風と小雪舞う中・・・


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昨夜から小雪が舞っている。
今日は、エントランスのセメント作業の日である。

雪の降りが多ければ中止であったが、9時頃には時折陽射しもある。
天気予報のレーダーを確認しながら、決行の連絡を入れる。

作業開始は午後1時からとする。
というのも、水道管が凍っていて、朝は水が出なかったからである。

YさんとM君が到着するまでに、下準備をしておかなくてはならない。
デザインの下図を炭で描いておく。

オブジェや模様に使う鉄錆や陶器の破片やB玉などを準備する。
11時半にYさんが、お昼の弁当を買って到着。

M君が来るまでの間30分のうちに、Yさんと材料を置いてイメージトレーニングである。
12時半に、M君がトラックで砂やセメントや道具などを積んで到着。

二人とも、余りの寒さに少し尻込みしている。
とりあえず、ストーブにあたりながら昼食を摂って打ち合わせ。

役割分担を決めて、一気にやることにする。 開始は1時15分。
セメントが硬くなる前に、模様を決めていかねばならない。

Yさんには、集中力が必要とされる。
若いM君には、セメント捏ねをひたすら頑張ってもらう。

僕は、セメントを伸ばしたり、オブジェの材料などをYさんの横に置いていったり
陶器を割っては埋め込んだりと、全体をチェックしながらチョコマカと。

みんな無言で作業に集中している。
風は冷たく、時折小雪も舞うが、三人とも黙々と作業をしていく。

3時前に10分だけ休憩して、気合を入れ直し、残りの3分の1を仕上げた。
作業を終えたのは、4時15分であった。

予定では、4時間余りの作業と見込んでいたが
三人のチームワークが功を奏し、3時間余りで終えることが出来た。

僕とYさんの二人だったら、この3分の1も仕上がっていなかったであろう。
ボランティアで来てくれた、強力な助っ人M君には感謝である。

作業を終え片付けをした途端、三人とも急激に寒さを覚え我に返る。
集中力とは、気温一度の中でも、その寒さを忘れさせるだけの力を発揮する。

今も、時折小雪が舞っている。
どうやら、予報では明日は大雪らしい。
間に合って良かったと、胸を撫で下ろしたところである。

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by lampnosizuku | 2011-01-30 23:35 | daily

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17日の大雪で、60cmあった雪もやっとなくなりかけてきたと思っていたら
一昨日、再び大雪に見舞われた。 降雪は20cmである。

シャーベット状になった雪の重さに耐え、身を起こして元気になろうとしていた矢先である。
花木たちにとっては、また試練の重荷となったであろう。

しかし、今回の雪は水分を多く含んだベタ雪であった。
次の朝に、陽射しがあったせいか解けるのも早そうであるが・・・。

梅の木に積もった雪が、まるで綿の花のようにきれいに咲いている。

・・・・・・・・・・・・

一月も終わろうとしているので、晴れ間を利用して、作業を進めなければならない。
今あるポストが小さいので、壊れた冷蔵庫を利用しポストに変身させることにした。

内部を白く外部を黒でペイントし直す。
周りを丸太で囲うことにする。

四方に杭を打ち込んで、丸太を挟み込んでいく。
上部にセメントを流してオブジェをと思っていたら、雪が激しくなり作業を中断。

明日の日曜日は、Yさんと造園業をしている桑名のM君が手伝いに来てくれる予定である。
エントランスの通路をセメントでオブジェ風に改造する予定でいる。

M君は、知人の紹介で、僕にJAZZベースを習いたいと昨年やって来た若者である。
こんな時に役に立ってくれるなんて、不思議な縁である。

まだ、予定の作業がかなり残っている。
雪の予報だが、降らないことを祈るばかりである。

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by lampnosizuku | 2011-01-29 23:48 | daily

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昨日・今日とYさんが手伝いに来てくれた。
数日前に洗っておいた泥まみれの枕木が、何とか乾いたので立てることにした。

ひとりではとても重いので、Yさんの力を借りて二人で頑張る。
最初に、少しセメントを流し込んでおいて枕木を徐々に立てていく。

垂直を保ちながら、一気にセメントを流し込む。
石ころを詰めながら、又セメントを流し込んでいくという繰り返し。

最後に、垂直を確認して石ころで補助の支えを入れ、何とか無事に立った。
二時間弱の工程であったが、神経を集中させたせいか、二人ともクタクタであった。

今朝見たら、何とかセメントも乾き始めたので一安心である。

今日は、一段と寒さが厳しかったが、Yさんが来てくれたので
先日造っておいた看板を取り付けることに。

土台を何にするか相談して、鉢置きにしていたリヤカーを使うことに。
リヤカーを垂直に立て、杭で固定し看板を針金で留めるという作戦である。

名古屋の看板屋さんからもらっておいた足場用の丸太を杭にすることに。
丸太の先を尖らせるのには苦労したが、電ノコで何とか削り終えた。

痛む腕のことは忘れて一気に打ち込む。
黒ペンキで塗装し落ち着いた杭にした。

リヤカーを杭に固定し、看板を取り付ける。
Yさんが、アドリブで鉄の廃品をオブジェにして取り付けていく。

何度も遠くから眺めては、アドリブで仕上げていった。
以前、エントランスに置いてあった枯れ松の枝を、思い切って上部に取り付けた。

三時間ばかり頑張ったが、雪が残っている上に
風が冷たく手足が動かなくなったので、早めに切り上げた。

とにかく、今ある物で造らねばならないという状況である。
しかし、それが知恵を刺激し、アドリブの面白みを堪能できるのであるから
ある意味、豊かな楽しみかもしれない。

大雪が止んで一週間が経った。
ガーデンは、まだ10cmほどの雪に覆われている。雪質は今やシャーベット状態である。

早く陽射しが戻って、花木たちのためにも解けて欲しいのであるが
そんな願いをよそに、外では又雪がちらつき始めている。

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by lampnosizuku | 2011-01-26 00:24 | daily

大寒も本番である


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時折顔を見せる太陽の陽射しも、冷たい風に遮られている。
それでも、陽射しのせいか少しずつ雪が解けてきている。

今日は10cmくらいまで解けてきた。
やっと、車も家の傍まで寄せられるようになった。

降雪で遅れている作業を急がねばならないのだが
余りの風の冷たさに、3時間が限度である。

雪が残っていても、少しずつ作業を進めるしかない。
看板の板が腐ってきたので、もらっておいた古材をカットし造り直す。

エントランス横の板塀が、強風で壊れかけたので撤去する。
正面の窓の上に取り付けてあった、長持の蓋が傷んだので取り外した。

窓が剥き出しになったので、白枠をつけてちょっとオシャレに改造。
毎年のメンテナンスは大変だが、ある意味楽しみでもある。

昨年はバイトが減ったので、メンテナンスにかける費用は全部で1万しかない。
知恵とアドリブの見せ所ではあるが・・・。

雪解けが進むにつれて、ガーデンの花木たちの悲惨さに胸が痛む。
だが、根っ子が生きている以上、彼らが逞しく復活してくれると信じるしかない。

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by lampnosizuku | 2011-01-23 22:46 | daily

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静かに深く降り続いた雪も止んで、今日で二日が過ぎた。
60センチ近くあった積雪も、今では20センチくらいまで解けてきた。

二日続きの雪かきの疲れが出て、足腰が痛む。

歩く部分は、雪かきのおかげで地肌が見えているが
ガーデンには、まだ水分を含んだ重たい雪がのしかかっている。

ほとんどの木々が、雪の重さに耐えられず腰を折り曲げたままでいる。
その哀れな姿にいたたまれず、痛む腕を庇いながら雪落としに精を出した。

10メートル近いコニファーは、途中から3本ほど折れている。
山茶花の大木は、雪を払っても前屈姿勢が戻らない。

フェイジョアはほとんど折れてしまった。
頑丈な茶の木も、かなり折れている。

藤棚は壊滅状態である。
咲き始めていた水仙も、まだ雪の下であるが、おそらく駄目であろう。

クリスマスローズが心配だが、ひとつだけ元気に顔を出していたのは救いではある。
紫陽花も若芽を出し始めていたのに、かなり折れ曲がったままである。

明日も晴れれば、雪解けが進み、新たな悲惨さに直面するかもしれない。
しかし、これが山の自然の現実である。

この現実の試練を生き残った花木たちだけが、逞しい花を咲かせるのであろうか。
人間の社会もこれと同じようなものかもしれない。

だが、人間の世界における弱肉強食は、決して自然現象などではない。
明らかに、人為的な策略の下で起こされている現象なのである。

雪の重みを、自身の力で跳ね返す花木たちと違って
人間ひとりの力などは知れたものである。

だが、自然淘汰される花木たちと違って
人間には、弱き者たちに手を差し伸べる、慈愛の精神と行動が備わっているはずである。

重さに耐えかねて、瀕死の状態にまで精神を追い込まれている人たちがいる。
僕の周りにも、貴方の周りにも。

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by lampnosizuku | 2011-01-22 01:00

大雪に翻弄され・・・


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ここに来て、六年ぶりの大雪である。
今日も一日中降り続いていた。

積雪は、昨日の時点で40cmであった。
今朝、玄関のドアを開けようとしたらドアが動かない。鍵穴が凍り付いていたのだ。

温度計を見たら零下3度である。
ドアを開けて、またまたびっくりである。50~60cmは積もっている。

木々たちの上には、雪が重くのしかかり、みんな折れそうになるまで耐えている。
手が届く範囲の木たちの雪は、スコップで払ってやったが、あとは傍まで寄り付けない。

とにかくスコップで通路の確保である。
さらさらの雪質なので、以前よりは重くはないが、30分も雪かきしているとかなり疲れる。

やっと、駐車場の車まで辿り着いたが、タイヤが雪に埋まっている。
道路までは30メートルある。道路は朝早くに除雪車が入ったらしいが
駐車場は50センチの雪が一面を覆っている。

昨夜で食料は缶詰だけになったので、買出しに行きたい。
湯沸かし器も凍って動かないので、二日ぶりの風呂にも入りたい。

少しだけ、晴れ間が出てきたので、意を決して雪かき開始である。
10分くらいで1メートルしか出来ない。 かなりきつい作業である。

雪国の人々の苦労が身に染みて感じられる。
気合で二時間頑張ったが、15メートルくらいしか進まない。

体力が限界に来て、諦めることにした。
一昨日の時点で、大雪が予想できたのであるから、道路に停めて置けば良かったのだが・・・。

そんな僕の苦労をあざ笑うかのように、静かに重く雪は降り続く。
六年前の大雪のときは、最初は喜んではしゃいでいた自分がいた。
雪だるまやかまくらを造って楽しんでいたのである。

しかし、当初は雪を甘く見たのか、油断してスリップした。ガードレールに突っ込んだのである。
その時の、自由が利かない怖さを今でも思い出す。 自然はなめたらあかんのである。

こんなときは、雪景色でも眺めながらじっとしているのが一番である。
だが、食料が米と味噌と缶詰2個しかないのである。

明日も降り続いたら米と味噌だけになる。
たまにはそれでもいいとは思うが、凡人の僕は、まだまだ賢治にはなり切れない。

スーパーまでは無理なので、2キロ先の隣村にある小さな雑貨店まで出かけることにした。
確か食料もあったと記憶していたが、45分かけて雪道を歩き着いたらパンと缶詰とお菓子しかなかった。

仕方なく、パンと缶詰を買い込んで帰路に就く。 雪は容赦なく降り続いている。
誰もいない雪道を歩いている自分が、まるでドラマのワンシーンを演じているかのようで可笑しかったが。

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by lampnosizuku | 2011-01-17 23:06 | daily

小雪も積もれば・・・


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今冬一番の冬将軍が、いよいよお出ましである。
寒の入りに合わせたかのように、毎日小雪がちらついている。

朝、ガーデンに出てみれば、池には氷が張る日々が続いている。
霜柱を踏みつけるのは、懐かしい子どもの頃以来である。

今日は、午後から本格的に冷たい雪が降り続いている。
もう10センチも積もったであろうか。

常緑樹たちの枝には、綿のような雪が重くのしかかっている。
自然から与えられた試練に、折れまいと、必死に耐えている花木たちの姿を見て、我が身を振り返る。

「汚れちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる・・・」中也の詩が思い浮かんだ。
二十代の頃は、若さゆえの悩みに翻弄され、あてもなく答えを探して、いろんな本を読み漁ったものである。

先人たちの哲学や生き様から学んだものは、確かに多くのものがあったと思う。
それが、人間としての今の自分を立脚せしめているのも事実ではある。

「人間とは一体何者なのか?」・・・人間の一人として、この問いから逃れられたことは一度もない。
おそらく、決定的な解答などあるはずがないであろうことは分かる。

しかし、「こうであったらいいな~」という理想を志向することは、誰にでもできる。
もちろん、現実というものが、理想と程遠いものであることは、誰もが思い知るところではある。

性善説や性悪説などという二元論などでは語れないほど、人間は複雑怪奇なものでもある。
だが、感情ひとつで殺人などの犯罪を犯す単純さを持ち合わせているのも人間である。

「人間は感情を持った動物である」と、誰かが云っていたが、犬や猫にも感情はある。
だが、感情を制御出来るのは、人間だけの特性かもしれない。

「何によって、感情が制御されうるのか」・・・人間を知る上での手がかりになるかもしれない問いではある。
やはり、連動すると思われるspiritとmindを、一度切り離して考えてみることも重要であろうか。

この歳になっても、人間が何であるかは、経験や体験を通して知った僅かばかりのものである。
理想とは程遠い現実に、たびたび無力感に襲われることもあるが
自然の中に身を置いて生活していると、彼らから諭されるような気がする。

「私たちは、自然の摂理によって生かされているんですよ」・・・という彼らの声が聞こえてくる。

生老病死・運命・宿命・寿命など、自分の手では何ともならない自然の摂理によって
今を生かされているという現実を、感謝の念で受け入れていくことが、人間ゆえに出来ることかもしれない。

・・・・・・・・・・・・

一昨日・昨日と、スタッフのYさんが手伝いに来てくれた。
ブロックに鉄さびの廃材やガラス球などを使ってデザインしてもらった。

セメントが乾く前に、つまり5分くらいの間に埋め込まねばならないのであるが
さすがはアドリブに強い造形作家である。

セメント捏ねは、さすがに大変であったが、気合で頑張った。
無事に、門柱の足場が出来上がる。

あとは、枕木を立て、5メートルの通路をセメントで造る作業であるが
事情があって月末になりそうである。

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by lampnosizuku | 2011-01-15 23:43 | daily

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昨日は、少しだけ寒さが緩んだが、今日は一転して冷え込んでいる。
おそらく、明日の朝は、ガーデンも白く雪化粧であろう。

休館中にしなければならないメンテナンス作業は
小さなものも含めると、30項目くらいある。

ここ数日は、木々の剪定、バラの誘引、植え替え、球根植えなど
ガーデンの手入れに追われている。

作業をしながら、いろいろ観察していると
木々たちの中には、早くも春を匂わせる芽吹きが始まっているものがある。

昨年よりも、少し早い気がするが、これも猛暑の影響かもしれない。

クリスマスローズも、一斉に早々と芽を出し始めた。
蕾を膨らませているものもいる。

二月頃が、一番きれいに咲き乱れているのに
毎年休館中だから、皆さんに観てもらえないのが残念である。

昨年初めて株分けしたものが、何とか根付いたようでホッとしているが
上手く花を咲かせるのであろうか、少し心配である。

紫陽花が、早くも若葉を伸ばし始めているのには驚きである。
何だか、ガーデン全体に異常さを感じるこの冬であるが
それでも、彼らが頑張っているので、花の時期を楽しみにしたいと思う。

・・・・・・・・・・・・

今日の作業は、トナカイの部屋の窓が壊れたので修理。
自宅玄関前の塀が、強風で傾いたのを補強。

ガーデン入り口の敷板が腐ったので、ブロックに交換。
明日は、そのブロックにセメントを乗せて模様をつける予定である。

まだ、体調が万全ではないので、作業は一日5時間にしている。
焦る必要もないので、コツコツである。

「千里の道も一歩から」・・・この6年間で、果たしてどれだけ進んだであろうか。

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by lampnosizuku | 2011-01-10 00:25 | daily

寒の入りに小雪舞う


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今日から、寒の入りである。
律儀な自然の使者が、冷たい風と共にやわらかい雪を連れて来た。

ガーデンは、また薄化粧である。
冷たい風の隙間から、早くも水仙が顔を覗かせている。

例年より、かなり早く蝋梅が咲きだしているのに
クリスマスローズは、まだ顔を引っ込めたままである。

昨年からの異常気象に、花たちにもそれぞれの戸惑い方があるようだ。
ノイバラは、まだ緑の葉をつけているし、アガパンサスも枯れないでいる。

ジンチョウゲは、蕾を大きく膨らませているし
ヒイラギナンテンなどは、満開状態である。

それでも、これからのひと月余りの厳しい寒さによって
花たちが、春に向かって足並みをそろえるのであろうか。

ガーデンの生きものたちが、みな無事に生きてくれることを願っているが・・・。

・・・・・・・・・・・・

ここに引っ越してから、六度目の新年を迎えることとなった。

今年の正月は、ほとんど寝正月状態であった。
疲れが出たせいもあるが、六十肩の痛みで、ひと月余り睡眠不足が続いていたこともある。

一日に数回も、炬燵に潜り込んで昼寝をするという、ぐうたらに徹していた。
起きている時は、少しずつ家の片づけをしたり、年賀状の返信を書いたりと、のんびりである。

しかし、五日間もぐうたらしていると、身体がかえっておかしくなる。
冬季休館中にやると決めていた、メンテナンスが沢山あるので
今日から、ボチボチ作業を開始することにした。

手始めは、気になっていたエントランスの改造である。
昨年、手に入れた格安の枕木が二本余っていたので、それを門柱にする計画である。

道路からの入り口は、コンクリートが傾斜しているので
まず、水平部分の下地造りから始めることにした。

資金がないので、予算は五千円である。
ブロックは、数年前にガーデンの陰に敷き詰めていたものを剥がして使うことに。

セメントと砂はないので購入する。下地部分とブロック積みで約二千円。
5メートルの通路を造るのに、あと三千円分しかないが、何とかするしかない。

スタッフのYさんと、知恵を出し合えば何とかなるから不思議である。
いつもそうであるが、資金不足を超えるものは、ノーテンキな情熱であるらしい。

それをまた、プラス志向で楽しめるのが、僕の特技かもしれない。

しかし、久しぶりのセメント捏ねは、やはりきつかった。
まだ腕が痛むので無理は出来ない。 以前の半分のペースである。

今年は、やはり、歳相応にゆっくり前進していくことを自覚するしかない。
うさぎ年に、亀のように生きるのも悪くはないであろうと。


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by lampnosizuku | 2011-01-06 23:34 | daily

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謹賀新年!

2010年も、あと一時間余りで過ぎ去ろうとしている。
昨夜から、しんしんと降り続いている雪が10センチも積もったであろうか。
物音ひとつしない山の静けさである。

大晦日の夜は、いつも、ひとり静かに過ごすことにしている。
年越しが近づいてくると、村のお寺から除夜の鐘の音が聞こえてくる。

「ゴ~ン」と力強く響いたあとの余韻が、耳の奥を通して、こころに内に収まってゆく。
煩悩のひとつひとつが、そのときだけは影を潜めてゆく瞬間である。

哀しいことなのか、新たな年を迎えてしまえば、煩悩の幾つかが夢という形で蘇って来る。
凡人たる所以であるが、この歳になっても、まだまだ宮沢賢治の足元にも及ばないのである。


今年は、はからずも「老い」というものを実感した一年でもあった。
年初から、怪我や不調が続き、肉体の衰えを否応なく受け入れざるを得なかった。

気力や意志ではどうにもならない「老い」という現実があることを、身を持って思い知った。
そのおかげで、捨て去った煩悩の数が少しだけ増えたかもしれない。

肉体の衰えは、病死や事故死を除いて、その死の時まで誰にでも平等に深化してゆく。
ある意味では、肉体の衰えという「老い」は、自由な願望を自制という形で納得させてゆく行為かもしれない。

一方、精神の方はどうであろうか。
「健全なる肉体に、健全なる精神が宿る」というが、例え不健全になった肉体を持ったとしても
精神が不健全になるとは限らないと思っている。

逆に、不健全になった肉体を持つが故に、精神がより純化されることの方が多いような気もする。
おそらく、それは死という現実に向き合わなければならないからであろうか。

誰にとっても避けられない未体験の死というものは、確かに怖れの意識を産むであろう。

だが、死が必定である限り、どのように死というものを認識し、自らを納得させておくかは
今を生きている自分を、意味ある存在とするためにも、一日に一度は意識しておくべきであろうと思う。

「死」そのものは、生きるものにとっては当たり前の事象である。
それに意味や価値があるとするならば、その瞬間までの生き様や意識のあり方であろう。

それが、残された生き続ける人々にとって、「その死が」価値を発揮するのであるから。

・・・・・・・・・・・・

あとわずかで、新しい年が幕を明けようとしている。
何とか無事に、この瞬間を迎えられることを、こころから有難く感謝したいと思う。

新しい年も、「一日一生」の意識で、コツコツと与えられた使命に邁進したいと思う。

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by lampnosizuku | 2011-01-01 00:30 | daily