哲学舎という名の美術館館長が綴る草想ブログ


by lampnosizuku
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各地で異常な酷暑が続いていたが、半月ぶりに恵みの雨である。

ここでも、日中は28度~30度の日が数日続いていた。
25度を超えると、さすがに暑い。

今日は、お湿りのおかげで21度である。
昨夜などは、涼しすぎて開け放していた窓を閉めたくらいである。
名古屋にいた頃の夏の暑さを思い出すと、嘘のようである。

今日は、外での作業が出来ないので、部屋の片づけをしていた。
古い書籍を整理していたら、昔のカセットテープがいくつか出てきた。

JAZZやBeatlesやFolkSongなど、懐かしいものが50本余りあった。
CDやDVDが当たり前のご時勢である。

カセットデッキも数十年前のものであるが、なんとか動いてくれた。
懐かしいものばかりであったが、その中から久しぶりに聴いた一本が
「五つの赤い風船」のアルバムであった。

二十歳前後に良く聞いていた曲ばかりである。
懐かしさと共に、当時の思い出が蘇る。

団塊世代の学生運動が華やかし頃である。
僕も未熟なりに、純粋にその流れに巻き込まれていた。

友人には、いわゆる過激派といわれるグループに走った者もいたが
僕は、信念から非暴力の立場を取っていた。

それにしても、みんなで実に良く議論し、語り合ったものである。
ラディカルという言葉も流行ったが、その本来の意味は「根源的」ということである。
すなわち、当時は誰もが、根源的に物事を考えようとしていたのである。

社会とは?政治とは?経済とは?文化とは?平和とは?・・・そして人間とは?
まさに、誰もが哲学をしていたのである。

そして、それらの運動が、その後どのように実を結び、実を結ばなかったのかは
各自の判断に任せるしかないのであるが
現在から振り返ってみても、日本中で多くの人が真剣に哲学していた時代は
当時だけであったような気もする。

部屋を吹き抜ける涼しい風の中で
「五つの赤い風船」のアルバムを聴いて、少しセンチになったのかもしれない。

立秋を10日後に控えているが、ここではもう秋が巣立っている。

キバナコスモスが咲き乱れ、琉球朝顔が咲き始め、シロシキブが実を結んでいる。
ミソハギも花を付け始め、赤とんぼが舞い始めた。

いつの間にか、日の暮れが早まっている。
今年の夏も、短そうである。

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by lampnosizuku | 2010-07-29 23:02 | garden

涼しい夜風はありがたい


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ひと月前に痛めた左肩と腕が、なかなか回復しない。
マッサージや薬の世話になっても、思うように痛みが取れないのである。

やはり歳のせいなのか。
今年に入ってから、特に身体の変調が続いている。

内臓関係は順調なのだが、筋肉や筋の変調が多くなった。
おそらく誰もが、このようにして老いを実感していくのであろうか。

機械にも耐用年数があるように、肉体にも老化が来ることは当たり前のことではある。
だがせめて、気力と精神力は意識的に前進させたいものである、

先日、パソコンが壊れて修理したばかりであるが
今度は、デジカメが故障した。

当たり前に重宝していたものが壊れると、不便を余儀なくされる。
そんな訳でブログの更新もままならなかった。


おまけにこの猛暑である。
昨日、桑名では39度まで気温が上がったらしい。
湿度も高いので、熱中症にかかる人が多く出ているようだ。

エアコンが当たり前になり、体温調節の機能が低下しているのも原因らしい。
やはり、夏は汗をしっかりかいて、体内の塩分を入れ替えなければ
人体はうまく機能しないように出来ているのではないか。

ここでの今年の最高気温は、28度である。
名古屋などと比べると、10度近くは低い。
それでも、ガーデンの作業をしていると、10分くらいで汗だくである。

夕方からは、放射冷却で20度くらいまで下がる。
風が心地よく、夜は熟睡できるのでありがたい。
これも、田舎暮らしの贅沢かもしれない。

だが、この数日の猛暑は、ガーデンの花木たちにとっても過酷なようである。
夕方には、たっぷりと散水するのだが、それでも枯れてしまうものもいる。

水道代が高くつくので、三日に一度くらいは夕立が降ってほしいのだが
この様子では、しばらくはカンカン照りが続きそうである。
どうやら、年々日本列島は亜熱帯化していくようである。

そんな暑さの中でも、カサブランカが咲き始めた。
ノリウツギはアナベルのような美しい花を咲かせ、ムクゲが白く輝いている。
サルビアやトウワタ、キバナコスモスが少しだけ涼しさを演出している。

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by lampnosizuku | 2010-07-23 22:53 | daily

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太平洋高気圧が張り出してきた。
しばらく南下していた梅雨前線も、それに押し上げられて
日本海に抜けようとしているのだが。

毎年のように、梅雨の末期には各地で土砂災害の被害が出る。
山に樹木が沢山あり手入れをされ、保水力があれば土砂が崩れることはまずない。

そのシステムを、人間が破壊してきた結果として、当然のごとく山が崩れる。
当たり前の原理であるが、それを理解出来ないのも、また人間である。

観測史上初めての豪雨らしいが、その言葉は昨年も聞いた気がする。
どうも日本は、亜熱帯の気候に近づいているのかもしれない。

そうだとするならば、自然災害に関する対処の方法を
根本的に再構築するしかない。

自然の力の前に、人間が如何に無力であるかは歴史が証明している。
そのことを謙虚に受け止めなければ、人災は永遠に続くであろう。

・・・・・・・

昨日、買い物の岐路の途中、家の近くの道路の真ん中に
何か黒い石のような物体があった。轢きそうになったので急ブレーキ。

よく見ると、大きなカメ君である。
ほとんど動かないほどのスピードである。
トラックに轢かれたらお終いであると思い、とりあえず家に。

ガーデンの池に放してやったが、次の朝には、もう何処かに行ってしまった。
とても知的な顔をしていたので、一枚パチリ。
随分と年期の入った甲羅をしていたので、もう数十年は生きてきたのかもしれない。

哲学舎にカメが来たのは二度目である。
ここにいると、いろんな生きものや動物たちがやって来る。

最近は、毎週のように鹿が餌を求めてやって来る。
鹿君もよほど餌に困っているのであろうか。

ただ、困ったことに、ガーデンの木の芽や葉っぱを食べてしまうことである。
昨日も、ねむの木とギボウシの葉っぱが食べられ、池の睡蓮が全部やられた。

鹿君にも好みがあるらしく、それ以外には手を出さない。
ねむの木だけは、大事に育てているので残念であるが致し方ない。

山で暮らすということは、人間が主体ではないということなのだから
それを受け入れながら、うまく共生していくしかないのである。

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by lampnosizuku | 2010-07-15 00:11 | daily

花が散るように・・・


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今日は、暦の上では七夕である。
雨こそ降っていないが、雲がかかって星は数えるくらいしか見えない。

梅雨のこの時期に、天の川が見える確立は40%くらいらしい。
新暦なのだから、仕方がないのかもしれない。

旧暦の七夕は、ちょうどお盆の頃である。
梅雨も明けて、満天の星空が拡がる時期である。

晴れた日には、ここでも天の川を少しだけ見ることができる。
望遠鏡を使えば沢山見られるが、肉眼でも雰囲気を味わうことができる。

流れ星が沢山見られる頃でもある。
僕は、流れ星を見つけるといつも
また一人、人生を終えて星になった人間が、この瞬間にいるんだと思うようにしている。

人が死ぬと星になるというお伽話を、僕は今でも信じている。
だから、ときどき夜空を見上げては、星になった友人や大切な人たちと話をする。

特につらい時や苦しい時は、彼らの言葉に耳を傾けるようにしている。
そうすることによって、何度励まされ勇気をもらったことであろうか。

・・・・・・・

早朝、携帯の呼び出し音で目を覚ました。
友人のS君からであった。

久しぶりに、こんな時間に・・・いやな予感が的中した。
訃報である。

後輩のH君が60歳の若さで他界したという知らせであった。
彼とは、7年前に会ったきりであったが、元気にしているとばかり思っていた。

頭脳明晰で人望のあった彼は、大手会社の社長にまで登りつめていた。
まだまだ社会貢献を夢見て頑張っていただけに、その無念を思うとつらい。

如何せん、早かれ遅かれ、死は誰にでも必ず訪れるものである。
だから、むやみに死を怖れる必要もない。
大切なことは、肉体が死んでも、その精神は誰かの心の中で生きつづけるということを
信じることである。

この歳になってくると、一日一生とか一期一会という言葉を噛みしめるようになる。
生かされて今在ることに感謝である。

今夜もまたひとつ、H君の星が産まれ・・・流れてゆく。

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by lampnosizuku | 2010-07-08 00:05 | daily

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朝から、戻り梅雨を思わせるような土砂降りであった。
ひと雨欲しいと思っていたところなので
稲や草木たちにも、恵みの雨となった。

雨上がりは草抜きのチャンスなので
明日は、ガーデンの手入れで忙しくなりそうである。

それにしても、自然の摂理は実に見事であると、思わされる毎日である。
自然は人智の想像をはるかに超えて、自己形成をしていくようだ。

一本の草抜きから、思い知らされる自然の偉大さである。

いのちという言葉を考えるとき、まず浮かぶのが人間のいのちであろうか。
そして、次に浮かぶのが動物や虫、花や木や草たち、海や水中の生物たち・・・微生物へ。

もちろん、人間の身体を形成する何十億という細胞もそうである。

それらのいのちは、意識とは無関係に自己形成を繰り返していく。
与えられた細胞としての役割を、最後まで完遂するように創られているらしい。

僕らの意識を遥かに超えたところで、実態としてのいのちが再生を繰り返している。
いのちを意識しなくても、生かされていることが良く分かる。

すなわち、人間もまた、他のいのちと同様に自然の摂理の内に生かされているのである。

しかし、人工的な人間関係の複雑さの中で、それすらも自覚できないままでいる。
生老病死に直面して、初めて四苦八苦するのである。

それが人間だと云ってしまえば、話は簡単であるが
そう簡単には切り捨てられない社会現象が続いてるのが気にかかっている。

12年間連続で、日本において自殺者が年間3万人を超えた。
その半数が、精神科や心療内科を受診していたという記事を読んだ。

いわゆる、流行のうつ病というやつである。
精神科や心療内科で処方された、大量の抗うつ薬がその要因となっているらしい。

病院は、どこも患者で満員らしい。
2~3時間待たされて、診療は1分。
大量の抗うつ薬を処方されて、あとは放任である。

これを医療行為と認めるかどうかは別としても
そうする医者の態度は、あまりにも無責任でビジネスライクと云われても仕方があるまい。

もちろん、そればかりが自殺の要因ではないであろうが
その現実を、直視しておく必要はあるであろう。

それにしても、なぜこんなにも「うつ病」といわれる病が急激に増えたのであろうか。
この問題は、僕なりにじっくり考えてみたいと思う。

・・・・・・・

少し重たい話題になってしまったが
ガーデンでは、早くも秋の使者がやってきている。

昨日、気の早いピンクのコスモスが一輪咲いた。
まだ紫陽花が満開だというのに。

タマアジサイやナツツバキが咲き、ダチュラやキキョウも咲き出した。
夏の主役、モントブレチアが一面に咲き出そうとしている。
三年目のぶどうの木も、初めて小さな実を付けてくれた。

夏本番を前にして、早くも小さな秋が顔を覗かせている。

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by lampnosizuku | 2010-07-03 23:48 | garden