哲学舎という名の美術館館長が綴る草想ブログ


by lampnosizuku
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祈り


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毎晩床に入り、眠りに就く前に祈る習慣が僕にはある。

中学一年の時、ミッションスクールに通っていた姉に連れられて
プロテスタント系の教会に通っていた。

その頃はまだ、宗教とか信仰については、ほとんど関心がなかった。
合唱が好きだった僕には、讃美歌のハーモニーがとても魅力的だったから
それにつられて通っていたといっても過言ではなかったのである。

求道者でもあった父の影響が多分にあったが
大学4年まで教会に通う結果となってしまった。

いわゆる日曜学校である教会で
毎週祈る体験をしてゆく中、祈りという行為が習慣化したせいかもしれない。
それから現在まで、毎晩祈りは続いている。

聖書から学んだ価値観は多大であるが
父の影響からか、禅や仏教の本も通読していた。

人間に関する今の僕の哲学が、少年期から青年期に培われたことは
自覚するところである。
しかし、社会人となって雑多な経験を積む中で学んだ人生観は
それらを揺るがすほどの強烈さをもって、僕に前に立ちはだかったことが
何度もある。

だが、壊れそうになる精神をいつも支えたのは、祈る習慣があったせいだと思う。

祈りは感謝から始まる。
人間として生かされていることへの感謝である。

何に、誰に、祈るのか。
神でも仏でも自然でもいい、人間の存在を超越する大いなるものの
存在に対してである。
自分を生かしめている存在に対してである。

自分の存在意義を探し求めて、苦悩している人も多いが
それは、感謝に始まる祈りを通してしか見つからないような気がしている。

現世利益的な、自分の欲望を叶えるような祈りは、祈りとは云えないような気がする。
愛でも、本願でも、自然の意志でも
それらは全て、利己とは対極にあるものである。

祈ることは誰にでもできる。
祈りを通じて、新たな自分に出会えることを
信じてみては如何だろうか。



毎朝ガーデンに出て、花木たちを見ていると
彼らの祈る姿が映し出されてくるようで、不思議である。


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by lampnosizuku | 2009-11-26 22:35 | daily

出番を待つ冬の脇役たち


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夕方から、冷たい雨が降り続いている。
こころなしか、みぞれの様な気もするがどうなんだろう。

日中の最高気温が10度を割る日が増えて来た。
あとひと月で冬至である。
今が一番寒さを感じる頃である。

欅や桜は、赤く染めた葉っぱをすべて落とした。
ガーデンの様相がずいぶんと変わってゆく。

花たちの入れ替わりも慌ただしい気がする。
健気にも、インパチェンスやロベリアが、最後の踏ん張りを見せている。

水仙が早くも花芽を出して、北風を呼んでいる。
ユリオプスデイジーも花開かんばかりである。

万両やナンテンは赤い実を一杯付けて、正月を待つばかりである。
カニバサボテンが白い花芽を膨らませている。

なんだか玉ねぎのように大きな球根が、地上にまで顔を出している。
何が咲くのやら、今から楽しみである。

昨夜は、名古屋でベースの仕事が入っていたので出かけたが
今朝起きたら、寒気がするので風邪をもらったかもしれない。

こんな空気のきれいな所に住んでいると
都会の人ごみの中に4時間もいれば、感染してもおかしくない。
注意をして、うがいや手洗いをしていたが・・・である。

熱はなさそうなので、新型インフルとは違って
ただの風邪のようである。 
大事になってはいけないので、早めに寝ることにしよう。

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by lampnosizuku | 2009-11-22 21:59 | garden

黄葉の美しさ


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ひと雨ごとに、山が色彩を変えてゆく。

赤く染まったモミジやカエデなども美しいが
僕は、濃淡が微妙なグラデーションを描く黄葉が好きである。

今、哲学舎を囲む山々は、水彩画のような質感で色を付けている。
僕のデジカメでは、写真がうまく撮れないのが残念である。

少し、山の中を歩いて見上げれば、その美しさに圧倒される。
踏みしめる落ち葉の堆積が、疲れた足に心地よい。

日毎に、冷え込みが厳しくなってゆく。
まだ頑張って咲いていた花たちも、次々に土に還ってゆく。
土の中では、春を待ち望んでいる球根たちが元気そうである。

このひと月余り、クリスマスディスプレイのバイトで追われていた。
昨日は、名古屋の店舗でサンタのセッティングであった。

今日が雨の予報であったので
二日分を一日でこなす羽目になった。
朝から深夜一時まで、15時間労働であった。

久しぶりの重労働で、今日は一日ダウン状態。
身体中が痛く、夕方から回復してきたという有様である。

老化が進みつつある身体に、無理は効かないが
哲学舎維持のためには、頑張るしかない。

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by lampnosizuku | 2009-11-17 23:20 | daily

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日毎に、山の色合いが秋色に染まってゆく。
昨日の冷たい雨のせいか、今朝からガーデンの葉っぱたちが急に色付いた。

風は冷たく勢いを増している。
初冬という言葉がふさわしい頃となった。

芸術の森マフィーの敷地内には、二本のもみじの木がある。
数日前から色付き始めていたが、今朝は見事に真紅に染まっている。

まだ、散り始めてはいないが
赤く染まったもみじを見ると、いつも良寛さんの表題の句が思い起こされる。

春に出した若葉を、秋にはもう、ひらりひらりと散らしてゆく。
表も裏も素直に見せて、土に還ってゆくのである。

業にまみれた僕が、もみじのように散ってゆくことができるのか ・・・。
こころの内で、そうありたいと希っている自分がいることは分かっているのだが。

ガーデンの草木たちと向き合っていると
ありのままに生きている彼らが、羨ましくなることがある。

人間として生かされていることが
自分にとって、どんな意味を持っているのか
自問自答を繰り返す毎日である。

こんなに風が冷たくても、精一杯咲いている花たちがいる。

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by lampnosizuku | 2009-11-13 00:01 | daily

紅葉前線も立ち往生か


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一気に冬がやって来たと思っていたら
また数日、小春日和の暖かな日が続いている。

秋色に染まりかけていた山肌も、戸惑っている様子である。
昨日などは、蝶々もトンボも飛んでいた。

この陽気に誘いだされたのか
シャガール君が、3日間の一人旅に出ていた。
家出したのかと心配して探していたが
今日の夜、何もなかったかのように帰って来た。

ダヴィンチ君も、シャガール君がいないと
やはり、寂しかったのであろう。 この三日間は僕に付いて離れなかった。

陽気に誘われたのは、虫や鳥たちも同じであった。
バッタ君が元気を取り戻していたし、山鳥やヒヨドリも
ガーデンで賑やかに遊んでいる。

山茶花が、昨年よりひと月も早く満開である。
水仙もあちらこちらで顔を出している。

オキザリスが沢山咲き、インパチェンスもまだ咲いている。
ブライダルベールやロベリアがこの時期に咲いているのを見ると
何だか、春と錯覚してしまいそうである。

しかし、やはり実りの秋である。
クロガネモチが赤い実をたわわに付けている。

嬉しいことに、フェイジョアが初めてキウイのような実を付けた。
食べられるというので、半分に切ってスプーンで掬ってみた。
初めて食す味は、甘酸っぱい不思議な味がした。

こんな豊かな体験が出来るのも
美術館を支援してくださる方たちのおかげであると
感謝する毎日である。

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by lampnosizuku | 2009-11-10 00:00 | daily

いのちは巡る


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昨日の朝の気温は4度。
寒さで目が覚めたくらいである。 12月上旬の冷え込みとなった。

この数日の急激な冷え込みには
僕だけではなく、ガーデンの草木たちも戸惑っているようだ。

大文字草やロベリアなどは、震えているのがよく分かる。
花木たちも冬を越す準備に忙しそうである。

欅はほとんど葉っぱを落としている。
黄花コスモスも、最後の数輪を残すだけとなった。

元気なのは、吉祥草やオキザリスたちである。
万両やクリスマスホーリー、クロガネモチも赤い実を付けている。

クリスマスローズの葉っぱが、生き生きとして来た。
不思議なことに、ゼラニウムが次から次へと咲き続けている。

いろんな葉っぱが、赤く染まり始めているが
特に鮮やかに紅葉しているのは、ヤマボウシである。

赤く染まった葉を見ていると、いろいろ考えてしまう。
一本の木と人間を重ね合わせて考える癖が、僕には昔からある。

ここに越して来て、自然の中に身を置いていると
益々、人間と木は同じ存在だという思いが強くなる。

種から誕生し、芽を出して根を伸ばし、幹を太くさせ枝を張り
葉を拡げて、花を咲かせ、実を付けて種を創り、葉を枯らせて
土に還し、種を落としていのちを繋ぐ。

まるで、人間の一生と同じではないか。
彼らを観ていると、いま自分が一生の何処にいるのかを考えさせられる。

肉体だけではない。
こころや精神にも、一生という輪廻があるのだと思う。

今にも散りそうな紅葉を観ていると、自然に哲学させられるのである。

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by lampnosizuku | 2009-11-05 23:18 | daily

山が秋色に染まってゆく


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暖かい小春日和が続いていたが
昨日あたりから、急に冷え込みが増してきた。

今日は、午後から冷たい雨が降り続いている。
北海道では、初雪が降り積雪も11センチだという。

冬の足音が、段々大きくなって来たようである。
周りの山たちも、木の葉を一枚一枚と赤や黄色に染めてゆく。

伊吹山が紅葉の盛りを迎えているらしいので
あと一週間もすれば、この辺りも秋色一色となりそうである。

昨年植えた、クリスマスホーリーの苗が、赤い実を付けた。
クロガネモチも、沢山の赤い実を付けている。

吉祥草も、あちこちで花を咲かせている。
ここしばらくの陽気に誘われたのか、キンシバイが花を付けた。

名も知らぬ秋の花たちが
秋を惜しむように、あちこちで静かに咲いている。

今年も、あと二カ月である。
人と自然との、どんな出会いが待っているのであろうか。

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by lampnosizuku | 2009-11-01 13:44 | daily