哲学舎という名の美術館館長が綴る草想ブログ


by lampnosizuku
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生きている


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空には、うろこ雲が拡がり、涼しい風がガーデンを通り抜ける。
風に誘われて、いろんな虫たちが訪れるようになった。

コスモスや萩、チェリーセージやムクゲの密を求めてやってくる。
ミツバチはセージが、クマンバチは黄花コスモスが気に入っているようだ。

バッタや秋の虫たちは、日陰の草たちと戯れている。
赤トンボはあちこちで円を描き、トンボは池の上を行ったり来たり。

カエル君は、のんびり芝生の上を散歩している。
ヘビ君も闊歩し出した。

のんびり者の猫のシャガール君とダヴィンチ君だが
バッタやトンボを見つけると、俊敏に駆け出して行く。

早朝には、サル君たちがお出ましとなり
夜中には、ノウサギ君たちが運動会である。

みんなのんびり生きているように見えるが
生きるために必死で生を営んでいる。

自然のルールの中で、ある意味平和に共存しているのである。
人間もそうであったら、どんなに素晴らしい世界かと思うが
どうも、人間だけが、自然の摂理とは一番遠い世界に住んでいるようである。

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by lampnosizuku | 2009-08-29 23:10 | garden

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本当に短い夏であった。
30度を超えた日は、たったの数日であった。

真夏の太陽が照りつけたのも、ほんの一週間余りである。
数日前あたりから、急に気温が下がった。

室温が18度位である。
九月後半の秋の涼しさである。

半袖では少し寒さを覚えるくらいである。
まだ八月だというのに、異常としか云いようがない。

おかげで体調が芳しくない。
気温の急激な変化に、身体が付いていかないのである。

昼間は、無理をしてでもガーデンに出て汗をかくようにしているが
どうも夏バテのようである。
情けない話ではあるが、やはり年老いたということであろうか。

夕方から、ガーデンでは秋の虫たちの合唱が賑やかである。
鳴き声と名前が一致しないが五種類くらいは鳴いている。

虫たちは、一体何を想って鳴いているのであろうか。

ブログの更新も、結構大変な作業である。
最低でも一時間はかかる。

週に二回くらいは更新したいと思っているが
体調がすぐれないときは、きつい作業となる。

おまけに、最近はこのブログを閲覧される方が増えているようなのだ。
嬉しいことではあるが、更新が遅くなってもご容赦願いたいと思う。
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by lampnosizuku | 2009-08-26 22:25 | daily

夏の夜の夢


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今日は、久しぶりのお湿りであった。
ガーデンの花木たちも、ホッと一息ついているようである。

今年の夏は、本当に涼しいから有難い。
長い梅雨の頃に、数日くらい寝苦しい夜があったが
ほとんど快適な夜が続いている。

名古屋に住んでいた頃は、最低でもひと月くらいは
蒸し暑さで眠れぬ夜が続いていた。

ここでは、涼しさと静寂で熟睡の毎日である。
眠りが浅いときは、なんだか夢を見ているような気がしていたが
熟睡していると、ほとんど夢の記憶がない。

ときどき、以前や前の晩に見た夢について、詳細に語る人に出会うが
僕には、どうして覚えていられるかが不思議でならない。
おまけに、カラーで夢を見たなどと聞かされると、尚更である。

だから、僕には夢判断などという存在がよく分からない。

同じ夢でも、現実に叶うかも知れないという夢はよく見る方である。
だが、友人たちに云わせれば、それは夢想に近いものとなるのだが。

確かに、若い頃から夢想するのが好きな方ではある。
結果、ここで美術館をやる破目になったのも、夢想のせいかも知れない。

おかげで、毎日が苦難の連続だが、ドン・キホーテのように見果てぬ夢に
立ち向かっている。
いつか見た、寝苦しい夏の夜の夢が、そうさせているのかも知れない。


毎日、ガーデンの花木や虫たちと話していると
彼らにも夢があることがよく分かる。

ガーデンに潜む妖精たちに助けられて、彼らも夢に向けて生きている。
彼らは、自然の摂理に従って生き、生かされているだけなのであろう。
僕には、そう思えて仕方がない。

シェイクスピアが見た「夏の夜の夢」は、きっとそんな世界だったのかも知れない。

アブラゼミの声がほとんど聞こえなくなり、ツクツクホウシの出番である。
夜ともなれば、虫たちの演奏会があちこちから聞こえてくる。

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by lampnosizuku | 2009-08-22 23:57 | daily

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秋が近づいているのか、涼しい夜が続いている。
あんなにも見えなかった星空が、毎晩のように美しい。

虫たちの鳴き声に、コオロギが参加し出した。
スズムシやウマオイなどは、都会ではほとんど聞けなくなってしまったが
コオロギは名古屋でも沢山鳴いてた。
山の中で聞くコオロギは、なぜか郷愁を誘う。

昨日と一昨日、スタッフのYさんが主宰する名古屋の造形クラブ「ねっこ」の
キャンプに、ボランティアで手伝いに出かけた。
所は朝明キャンプ場である。  今年で5回目の参加である。

中学から大学まで、YMCAで根の上キャンプに参加していた。
大学時代はキャンプリーダーをしていたので、キャンプのノウハウはある。

キャンプを体験することは、人間形成にとってかなり大きな収穫がある。

今どきのキャンプは、かなり施設が整っていて、野営とはかけ離れているが
それでも、自然の中で不自由を体験し、共同生活のモラルを学び
自分の役割や可能性を発見することには、大きな意味がある。

自然の中にあって、人間は自分一人では何もできないということを
自覚するだけでも、大きなことである。

逆に、仲間たちと協力し助け合えば、厳しい条件の中でも
前に進むことができることを体験するだけでも、キャンプに参加する意味がある。

人間形成の上でも、子どもたちには是非キャンプに参加させたいものである。


今年は、雨が多く天候が不順であったせいか、蜂が大量発生しているようだ。
キャンプ場にも蜂の巣が二つもあった。 昨年まではアブ以外いなかったが
今年は蜂が沢山飛んでいた。

子どもたちと薪を集めに出かけたとき、枝を払おうとした瞬間
手袋の上から人差し指にチクリと来た。
枝の陰に巣があったらしい。 痛みからしてスズメバチのようだ。
すぐに水洗いをして、毒をバキューム器具で吸引したが
夜には、かなり腫れて眠りを邪魔された始末である。
刺されたのが僕で、子どもでなかったのが幸いであった。

今年の夏は、どうも蜂に刺される巡り合わせのようである。
これで三回目である。
六月にアシナガバチに刺され、七月にスズメバチに刺され
そして、今回である。

飛んでいる蜂には、注意して対処しているので刺されないが
草や枝の陰にいる蜂にすべてやられている。

二度刺された時点で、もうないであろうと高をくくっていたが甘かった。
諺は実に当たっていることが多い。
二度あることは・・・三度あるである。

蜂くんとも仲良くしたいのだが・・・。

赤トンボの乱舞がもう始まっている。
コスモスもかなり咲き出した。
日影で出遅れていたユリが美しい姿を見せた。

アメジストセージや芙蓉も咲いている。
ハナトラノオやオシロイバナも満開である。

涼しい風に追い立てられるように、短い夏が終わろうとしている。

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by lampnosizuku | 2009-08-20 00:16 | daily

やっと星たちに会えたよ


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昨日の日中は、熱い陽射しが照りつけた。
雲一つない久しぶりの快晴である。

待ちわびた星たちとの再会が、やっと実現した。
今夏初めての天体ショウである。

ほんの少しだけ薄雲が邪魔をしていたが
美しい星たちは、うれしそうにこちらに向かって輝いている。

天空に夏の大三角形、北西に北斗七星、南東にいて座・・・。
スピカもデネブもはっきり見える。

残念であったが、天の川は見えない。
それでも、流れ星が二つも見られたのはラッキーである。

風も爽やかであり、夜半からは急に涼しくなった。
寒いくらいになったので、蒲団を引っ張り出したくらいである。

今日は、うろこ雲が一面を覆い、秋本番というような空であった。
夜半は今日も涼しい。 気温は22度、湿度は60%である。
もう夏が終わってしまうのかと、錯覚するくらいの涼しさである。

きっと、花たちも戸惑っているのであろう。
黄花コスモスが早くも盛りを過ぎ、タネ作りを始めている。
サマードレスやオシロイバナだけが、まだ夏を楽しんでいるようだ。

サルスベリの花が、夏に取り残されないように、一斉に咲き出した。
綿の木にも花が咲き始め、早くも冬支度を始めているようである。
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by lampnosizuku | 2009-08-15 23:27 | daily

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短い夏が始まったというのに、あの美しい星空はまだ見えない。
今日も快晴であったのに、夕方から雲が拡がり始め空を遮った。

ここに引っ越しをして五年経つが、こんな夏は初めてである。

毎日のように報道される、観測史上初めてという異常気象の記事。
そして、長雨、豪雨、竜巻、地震、台風などによる被害の大きさ。
天災なのか人災なのか。
どちらにせよ、自然の脅威の前には、人類の知恵も無力である。

人類が自然との共存を真剣に考えるべき時がすでに来ている。
どんなに科学が進歩しても、人間以外の自然を凌駕することなどできない。

自然を克服するなどという、無謀で愚かな夢想は停止するときが来ている。
人類が自然を護っているのではなく、自然の側が人類を育んできたという
当り前の原点に立ち返るべきときである。

酸素や食料のすべては、自然からの贈り物であるということを
どうも忘れてしまっているようだ。

なぜ自然に対して、もっと畏敬の念を持てないのであろうか。
自然に育まれていることに感謝できないのであろうか。

人間という存在は自然そのもののはずだが
そんな当たり前のことすら、分からなくなっているのは何故だろうか。

花だって人間だって、水や光がなければ生きていけないのにである。

さて、春先に知人のNさんから頂いたインパチェンスの種を播いた。
昨年は直播をして失敗したので、今年は鉢植えで試したが
見事に花を咲かせてくれた。

夏はどうしても花の種類が少なくなるが
それでも、頑張って咲いてくれる頼もしい花たちがいる。
木陰では、もう秋の花たちが出番を待っているようだ。
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by lampnosizuku | 2009-08-12 23:45 | daily

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昨日から、多くの企業が盆休みに入ったようである。
盆とはいっても、昨今は墓参りを兼ねた里帰りというよりは
長期休みを利用しレジャーに出かけるパターンが普通であるようだ。

お盆本来の意味も知らない世代が増えたせいなのかもしれない。
故人を偲んで、我が身を振り返り、襟を正すというような風潮は
どんどん廃れていっている。

それがいいことか由々しきことかは、一概には云えないが
少なくとも、親しかった故人に思いを馳せ、今を生き、生かされていることが
どういうことなのかを考えてみる機会にはしたいものである。

梅雨が明けて、真夏の陽射しが照りつけたのは、たった二日である。
今日から、また激しい雨が降り始めた。
夜空に輝く夏の星たちは、ほとんど姿を隠したままである。

子どもの頃親から、人は死んだら星になるんだという話を聞かされ
ずっと信じていた。 というより、今もそう思っていたい自分がいる。

あの世や天国という概念は、どうもイメージが湧かない。
浄土や神の国という概念も、理屈は分かるがイメージの域を出ない。

自然の中で暮らし、草木と共に生きていると
死んだら土に還るという感覚が、今のところしっくりと来る。

いつの頃から火葬という形式が定着したのか知らないが
自然の生きものの一部としてある人間にとっては
土葬という葬り方が、当り前のふさわしい姿ではないかと思っている。
しかし、現実がそれを許さない時代になってしまった。

葬儀が本来の意味を喪失し、形骸化していることはみな気づいている。
親鸞は、墓などいらないと云っているのに、誰がそうしてきたのであろうか。

しばらく前に、千の風という歌が流行ったが
その歌詞に救われた人が多かったからであろう。
それは、まさにアニミズムの死生観である。

死者に魂などあろうはずはない。
もしあるとするならば、それは彼が生きていた時に持っていた精神性のことである。
死者の魂に向き合うことは、その精神性に向き合うことである。
その意味において、人間の魂は永遠性を持つことができる気がする。

自分が生きている意味は、自分では分からないものである。
しかし、自分が生かされている意味は、分かるような気がする。

歳を取るごとに、知人の訃報の知らせが増えてきた。
星を見上げながら、彼らと対話する日々である。

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by lampnosizuku | 2009-08-10 01:54 | daily

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数日前に、どうも梅雨明けしたらしい。

一昨日は、本当に久しぶりの太陽であった。
入道雲が顔を出し、陽射しは暑さを増していた。
気温は28度まで上がり、湿度が70%あった。

雨上がりは、草抜きには絶好のタイミングである。
朝から夕方まで、草抜太郎に変身である。

たっぷりと水を含んでいるので、面白いように楽に抜ける。
二週間分を取り返すかのように、一気に頑張った。

しかし、昨日の朝は、体が重く腰も痛い。
最悪なのは、右膝が痛くて曲がらない。
しばらく前から、右膝が少し痛かったのは事実だが
別に支障はなかった。

調子に乗って、6時間もしゃがんでいたのが災いした。
寂しいことだが、身体は確実に老化へと進んでいるようだ。

湿布をしてマッサージしているが、どうも長引きそうである。
60膝という奴かもしれない。

やはり気持ちだけは若いつもりでも、身体は正直である。
精神の老いよりも、身体の老いの方がスピードは速そうだ。

そう云えば、先日ラジオの番組で云っていたが
体力は20歳を100とすると、一歳ごとにマイナス1となるらしい。
ということは、今の僕の体力は58ということになる。
無茶が効かないわけである。

暑くなったせいか、気にかかっていたハスの花がひとつだけ蕾を付けた。
でも、残念だが昨年よりはかなり少なさそうである。

逆にノリウツギのライムライトは、沢山花を付け出した。
夕顔も次から次へと咲いている。

美男カズラは黄色い美しい花を咲かせた。
先日、JAで安売りをしていた名も知らぬ花が
今日花を咲かせた。
薄緑の蕾がかわいかったので買い求めたのだが
なんと、それは時計草であった。

夏を待ちかねたように、アブラゼミたちが一斉に鳴き出した。
ヒグラシの鳴き声が秋を呼んでいる。
赤トンボやツバメたちが気持ち良さそうに飛び回っている。

短い夏が、精一杯に生きようと頑張っている。
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by lampnosizuku | 2009-08-06 22:41 | garden

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この二週間で晴れた日は、たったの一日である。
今日は午後から雨が止んだが、太陽は顔を見せてはくれない。

今頃は、夏の星座が美しく輝いて見えるのだが
今年は、まだ一度もない。

異常気象というか、あまりにもおかしい夏である。
赤トンボが、もう飛び始めている。

短い夏を羨むかのように、セミたちが夜中も鳴き続けている。
8月だというのに、アジサイがまだ少し咲いている。
ガーデンの花たちを見ていると、季節感がおかしくなる。

ハスの花がそろそろ咲いてもよい時期だが
今年はまだ花芽すら見えない。

数少なくなったガーデンの花たちの中で
黄花コスモスだけが元気に咲いている。

低い気温のせいか、コウホネやユウガオが、また咲き出した。
レモングラスは背丈を伸ばし、サギ草がやっと花芽を付けた。

予報では、まだ一週間くらい雨が続くらしい。
どうやら、今年は梅雨から秋へ直行らしい。
真夏の夜の夢が見られないのも、なんだか寂しい気がする。

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by lampnosizuku | 2009-08-02 23:29 | daily