
三寒四温の響きが虚しく聞こえる今年の春の到来である。
一寒四温 と云えるほどの異常な陽気である。
観測史上初という異常さがニュースで伝えられている。
年々、地球環境の衰退が進んでいるからであろうか。
その異常さに合わせるかのように
政界や世界情勢が狂い始めているようだ。
どれだけ文明や科学が進歩しても
やはり人間の叡智には、平和を構築するという概念がなさそうである。
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この異常な暖かさのせいで、ガーデンは春と初夏が混在して
雪国の春を思わせている。
スノードロップは2月終わり頃から咲き始めていたが
追い越すかのように、クリスマスローズが一斉に花を開く。
クリスマスローズは頑張って増やしているが、やっと50株くらいに増えてきた。
来年あたりはクリスマスローズフェアでも開催しようかと思う。
梅が咲いたと喜んでいたら、桜のつぼみが膨らんで
梅が花を終える前に、桜の開花である。
桃の花も仲間入りして、梅、桃、桜と異様な饗宴である。
タンポポが咲く前に、ツルニチソウが顔を出し、すみれは春を探して戸惑っている。
ムスカリが顔を出したかと思えば、ボケが負けじと花を咲かす。
レンギョの鮮やかなイエローに見入っていると、トサミズキがちょっかいを出す。
今日は18度くらいまで暖かくなったせいか
ツルニチソウがあちこちで顔を出している。
黄梅もつぼみを大きく膨らませている。
利休梅も負けじと美しい純白の花を咲かせている。
昨日から、ウグイスくんがやって来て
ガーデンで美声を披露している。
冬休みのメンテナンスもなんとか終わり
いよいよ明日4日から、今年の開館である。
スタッフのYさんが、ジャンクのオブジェをたくさん作ってくれました。
ガーデンを散策しながら探してみてくださいね。小さなモノもありますよ。
この気温の急激な変化に、身体が少しついて行けないが
無理せずゆっくり庭仕事に励みたいと思う。
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今日の暑さときたら、まるで夏である。
各所で夏日を数十年ぶりに記録するという異常現象である。
まさか、政界混乱という異常事態に合わせたわけでもあるまいが。
昨日などは、サルの大家族がガーデンで大はしゃぎ
道路に陣取って何やら家族会議であろうか、深刻な趣であった。
今年はなぜか栗が豊作で餌は足りているはずなのだが・・・。
哲学舎の栗も100個くらい実をつけたが、7割方はサル君たちの胃袋に収まったはずである。
こちらの収穫は40個くらいであった。
結構大粒で味も美味しかった。昨年は数個しか食べれなかったので有難かった。
そういえば、今年はあちこちで柿が不作であったようだ。
サルくんの好物の柿がなかったせいか、その会議だったのであろうか。
まぁ、人間にもサルくんにも気候の異常は有り難くないものである。
同様に、世界の権力者たちの稚拙さやレベルダウンには、本当に困ったものである。
そんなこんなの中での総選挙である。
10月10日公示とは、どんな計算をしたのであろうか?
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ガーデンは秋色にすっかり変身である。
ヨメナがあちこちで花開き、コスモスが背伸びして風に揺れている。
カラスウリが大きな実をつけているし、お茶も可愛い花を咲かせている。
彼岸花はお彼岸に合わせて律儀に咲いてくれた。
水引はまだたくさん咲いている。
木陰では、シュウカイドウやオキザリスが咲き始めている。
シロシキブがムラサキシキブを追い越してしまった。
フヨウも大輪を付け、アメジストセージも咲き始めている。
今日の暖かさで、明日はキンシバイが咲いていそうだ。
ツユクサやヘクソカズラも可愛い花を付けている。
数日は夏日が続くらしいが、花木たちにとっても惑いの秋である。
余談であるが、スタッフのYさんに無理やり勧められ
夏に日本園芸協会のガーデニングコンテストに応募したら、一昨日賞状が届いてびっくり。
なんと、入選であった。まさかと思ってHPを見たら
総数の7割が、何らかの賞をもらっていた。
でも、何もないところから12年。
ちょっと頑張った甲斐があったかなと・・・。














30度を超えた真夏日の地域が、あちこちであったらしい。
五月なのに七月並みの暑さとなったようである。
この数年、異常気象などは当たり前のこととなっている様相を呈している。
そのせいでもあるまいが、我が国の政治状況も異常気象そのものであろうか。
残念ながら、ジャーナリズムはその力を削がれ弱体の一途を辿っている。
このまま行けば、10年後の日本がどのように変化しているか想像がつく。
70年前の悲惨な教訓を噛みしめている世代が多数いるはずなのだが・・・。
人間は、よほど痛い目に合わないと反省しない動物らしい。
戦争経験のない権力者たちが、まさに金儲けやゲーム感覚で世界を侮っている現実は無視できない。
これだけインフラが整備され、個人が情報を取捨選択できる環境にありながら
政治に無関心であり続けるのは何故なのか。 せめて選挙権を行使して欲しいものであるが・・・。
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そんな人間様の状況には関係なく
ガーデンの花木たちは自然の摂理に従って、いのちの営みをコツコツと続けている。
このひと月余りの花木たちの変化は
気温が上がるにつれ目まぐるしいものがある。
4月中旬からのガーデンの変化を見てみよう。
クリスマスローズが種作りを始めた頃、スミレやボケが咲き
ヤマブキが黄色い花を付け、姫りんごや利休梅が可愛い白い花を付ける。





木陰ではシャガやスノーフレイクが咲き、梢では野鳥がさえずっている。
デイジーやクリピアも彩りを添え、初夏を演出している。





フジが妖しい紫をガマズミが爽やかな白を演出している。
木陰では、苺の花やカタバミの可愛い花たちが自己主張である。




樹木ではオオデマリやコデマリが沢山の花を付け
その下でアナベルやヒメウツギなどが揺れている。



片隅では、エビネやシランやナルコユリやアマドコロが控えめに自己主張である。
紫陽花やテイカカズラたちの花芽も膨らんで、夏が近いことを知らせている。



こんなに素敵な時期なのに、来館者が少ないのが残念であるが
ガーデンを訪れた人は、皆一様に喜んでくれている。


ガーデンを気に入ってもらえると、その疲れも吹っ飛ぶから不思議なものである。

寒さも彼岸までか。
この一週間は暦通りの三寒四温である。
この数日は日中の気温も10度を超えるようになってきた。
水ぬるむ頃となった。
日中はガーデンの手入れをしていると、汗ばむくらいであるが
さすがに夜はまだ寒く、こたつの世話になっている。
ガーデンの花木たちは、気温の変化には実に敏感である。
気配が日毎に変化してゆくというより、数時間で変わってゆく感じである。
雪国では、一気に春が訪れるというが
そんな感じが少しだけ味わえるのも、ここならではの贅沢であろうか。
梅が盛りを数日で終え
入れ替わりに、しだれ桜の花芽が膨らんでいる。
あちこちで、草花たちも自己主張をし始めている。
木々たちも新しい葉を伸ばし始めている。
まさに、春到来である。
地球は人類の都合に関係なく周り続ける。
終末時計が示す地球の寿命は、残り2分30秒だというのに・・・。

























昨日の朝は、真冬並みの冷え込みであった。
ガーデンに出てみると、うっすらと白い世界が拡がっている。
寒の戻り、なごりの雪であった。
冬休みも終わり、15日は哲学舎の開館日である。
Mさんに支援していただいた芝生を敷く



身体の方はガタガタである。
しばらくは身体のメンテナンスに集中である。
大きな怪我もなく進められたのも、Yさんをはじめ支援いただいた方たちのおかげである。
Yさんのオブジェ・・誰かに似てる?




遠くからいつも支援してくださる横浜のNさん。
芝生などを支援してくれた園芸店のMさん。
石材などを支援してくれたKさん。
この場を借りて、感謝を申し上げたいと思う。
クリスマスローズや花もNさんのおかげで毎年増えてゆく









残りの作業は、ゆっくりと楽しみながらやりたいと思うが
22日からは、絵画キルト作家「北山玲子」さんの小品展が始まるので、少し頑張らないといけない。
やはり、歳と共に疲れが取れにくくなってきたが
ここは、気力で頑張るしかない。

ガーデンの花木たちは、大雪にも耐えて新芽を出し始めている。
土の中では根っ子が伸びているし、光を浴びて水はぬるんでいる。
自然の摂理は、当たり前のいのちを繰り返している。
当たり前に生きられないのは、どうやら人間だけらしい。
春の息吹から教えられる事は、大切なことばかりである。
シカ君やサル君やムシ君たちから学ぶ謙虚さを忘れないでいよう。
Yさんが創ってくれた河童のオブジェ

壊れる前の風のテラス

2週間前から、雪の重みで壊れたバラアーチや折れた樹木の片付けに追われている。

今の僕の体力では、一日3時間くらいが限度である。
一人では無理なので、スタッフに応援を頼む。
雪が溶けるに連れて、予想以上に潰れているのが分かる。
下敷きになった花木も植え替えざるを得ない。



イバラを小さく切っていって、パイプが見えたら接続器具を外して二人で引き抜く。
バラの刺が服や顔にまとわりついて結構難儀する。


樹木の根っこを切断したり掘り起こしたり・・・
これが一番の重労働であった。
猫の手も借りたいけれど・・・


花木の半分以上は生きていたので助かった。
クリスマスローズも何とか大丈夫で、すべて植え替える。





パイプは30本ほど、丸太は50本ほど、粉砕イバラは1t車分くらい。
とりあえずランプガーデンに置いて、乾燥させてから焼却である。


めだかカフェも屋根が抜けたので使用不可、半分壊す。
違う用途になりそうである。


あとひと月で、何がどこまで出来るかわからないが
夢想しながら楽しむことにしよう。


比較的涼しい日が続いていたが、今日は初めて蒸し暑さを感じた。
涼しさのおかげで、今年は昨日あたりまでホタルが飛んでくれた。
この数年では一番たくさんのお出ましであった。
昨年は、近辺をあちこちと探し回ったが
今年は半径500m以内で5か所も観察ができた。
また、川がきれいになりつつあるのだろうか。
しかし、もうすぐマグロードの工事が始まるので、今年が最後かもしれない。
ガーデンでは、紫陽花たちが沢山咲いてくれた。
昨年は、シカ君に新芽をほとんど食べられたので、花がほとんど見られなかった。
今年は、3月から網ネットをかけ保護したおかげで無事であった。
やはり、この季節には紫陽花が一番である。
だが、そろそろ紫陽花たちの梅雨の舞いも終わりである。
その幕間から匂い立つのは、くちなしの妖艶な香りである。
実際にその香りを経験しないとわからない妖艶さである。
誰が名付けたか、くちなしとは。
早いもので、明日から7月。
七夕までには、梅雨が明けてほしいものであるが、天の采配はいかに?



















花冷えにしては、寒すぎるのである。
朝は、まだ5度前後の日が多いが、日中は20度くらいまで上がる。
夜中は、まだストーブの温かさが必要である。
とりあえず、平常な生活を営んでいる人々にとっても
体調管理が難しい時期である。
予期せぬ震災に会われた人々にとって
生活の激変が心身に与える影響は、計り知れないものであろうと思う。
地震大国である我が国にとって、天災は必ず起きるものであるが
平常な日々が続くと、それを忘れてしまうのも、また人間の性かもしれない。
備えあれば憂いなしではあるが
自然の破壊力の前に人間がいかに無力であるかは歴史が証明している。
災害から受ける被害を、少しでも減らすことは可能なのであるが
現代では、便利さやコストの面が優先され、いつも人命は後回しである。
田舎の小さな自然環境の中にいても
自然の摂理や偉大さの前に自分が如何に小さな存在であるかを思い知らされる。
都会の人工空間における生活では、自然を肌で感じるチャンスは少ないであろうし
ましてや、自然の偉大さなどと云うものに出会うチャンスはないであろう。
人類が、自然の摂理との乖離を進めていく以上自然との共生は夢物語となる。
人間は永遠に負け続けるのである。
奇しくも、震災の数日前に来日したムヒカ元大統領の発言が
多くの心ある人々にとって、意義ある提案とならんことを祈る。
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この数週間前からの、ガーデンの花木たちの様子である。
寒の戻りと云うか、花冷えと云うか、予期せぬ寒さにガーデンも戸惑っている。
















今朝は冷たい風が吹いていたが、午後からは陽射しも暖かさを運んでいた。
ガーデンの手入れに追われているが、一時間も動けば少し汗ばむようになって来た。
3時頃、ウグイスがひと声あげて鳴いた。少し早いかなと思っていたが、昨年よりは4日も遅い初鳴きであった。
昨年は、まだ山に雪が残っていたが今年は雪も少なく、山肌はすっかり春の装いをし始めている。
巷では、それぞれの卒業式も終わり受験生の周りでは、悲喜こもごものドラマが展開されたことであろう。
それぞれの若い彼らが、そのドラマの中で獲得した意識や感情の意味を体得するまでにはまだまだ時間を要するであろう。
ある程度大人になれば、人間は失敗を糧に成長できる存在だと思えるのだが失敗の経験が足りない若者には、そう思えないのも無理はない。
むかしは、「失敗は成功の元」などと云って失敗したことをプラスに考える風潮が当たり前であったが・・・。
どうもここ数十年、失敗イコール、ゼロとかダメというような考えが根強くはびこっている。
人間が不完全な存在であることは、みんな頭に中では認識しているはずなのにである。
おかしな話であるが、全員が一流の高校や大学に入れるわけもないのに親も本人も分かっていながら、それを目指すのである。
何故であろうか。 彼らの欲望の行きつく先は、いい給料いい生活である。
残念ながら、その「いい」の基準が金であることである。
人生において「いい」と思えるものは、とてもたくさんあるはずなのにである。
小さい頃から、その「いい」と思えるものを、親や社会が提案してゆけたらと思う。
「いい」の中身は、時代や環境によって十人十色であろうが人間としての「いい」は共通しているものがあるはずである。
話は変わるが、アメリカでは大統領候補に人種差別主義者が名乗りを上げようとしている。
彼の手法は仮想敵や自分よりも優秀な存在をまな板に載せ、彼らをへ理屈で糾弾し排斥することによって
民衆の不満のはけ口とすることである。
自らの失政や失策には煙幕を張り目をつぶらせ、すべてを仮想敵の仕業であるとする手法である。
要するに、自らや民衆のコンプレックスを憎悪という感情にすり替える洗脳である。
これは、今も過去も為政者がとる愚民政策である。
その口調は、かのドイツや日本の為政者と酷似している気がする。
今、世界を見渡しても、人類は科学を除いて少しも進歩していない。
過去の戦争や失敗から、何も学ぼうとしていないし、むしろ退化しつつあるといえる。
一流大学を出て、政治家や官僚になった連中が、今、日本や世界をどうしようとしているのかを冷静に見てみれば
政治は誰のためのものか分かるであろう。
卒業シーズンである。
私たちも、過去から学び直し、もういい加減に無知や無関心や諦めから卒業したいものである。
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ガーデンの様子が、日ごとに変わってゆく。
殺風景だった冬色から、まぶしいくらいの春色へと変化している。
梅は盛りを過ぎたが、サクランボの花は満開である。
黄梅も沢山咲いているし、スイセンはあちこちでアクセントを表現している。
ミズキやユキヤナギやアセビも透き通る美しさである。
ホトケノザやムスカリやハナニラも咲き出している。
クリスマスローズやスノードロップに追いつけとばかりにスノーフレークが次々に咲き出している。
木々も葉芽を膨らませ、空を背景にドローイングである。
ネコ君たちも、気持ち良さそうにガーデンで日向ぼっこである。
オジャマ草くん達も元気になって来たのでそろそろ、老けて来た草抜太郎君に、無理を云ってお出まし願おうと思う。
春先のガーデンは、いろんな意味で自分と向き合ういいチャンスです。どんな境遇でも、いのちが育つことの喜びを教えてくれます。
お暇があれば、あ出かけください。






















