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哲学舎という名の美術館館長が綴る草想ブログ


by lampnosizuku
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祈り  2013


祈り  2013_c0156104_17133645.jpg

穏やかな柔らかい光を放ちながら、元日の太陽が顔を出した。
その無垢な眩しさに、思わず目を閉じてしまう自分がいた。

こんなに静かな年の始まりは、何年ぶりであろう。

ただただ地球が時を刻んで、2013という新たな一年が始まった。
果たして人類の叡智は、今年は一体何をもたらすのであろうか。

叡智が叡智たらんことを祈るばかりである。

各地の神社やお寺では、例年以上の初詣客が押し寄せているという。
日本人口の半数以上が、神社などで願い事をするわけである。

願われる神様の方も、あまりの多さに困惑しているのではないかと思いたくもなるが
そこは、八百万の神であるから、何とか聞き入れているのかもしれぬ。

神様の立場に立ってみれば、賽銭の多寡で決めるわけでもなかろうが
あまりに利己的な自分本位の願い事には、頭を抱えているはずである。

本来は、自然の叡智に対する感謝の念が祭事の始まりであったが
いつの間にやら、感謝の念が抜け落ち、御利益ばかりを求めるようになってしまったようである。

初詣したところで、自分本位の願いが叶うはずがないと分かっていても
正月が来れば、出かけてしまうのが人間の性かもしれない。

そういう僕も、地元の氏神様には初詣に出かける。
ここに住まわせていただいているお礼を兼ねてではあるが、願い事もする。

悪い意味での他力本願ではないが、自力を尽くした先の他力である。
人事を尽くして天命を待つである。


僕には就寝前に、神に祈る習慣がある。
中学1年のころから、近くのプロテスタント系の教会に通っていたせいもある。

毎週日曜日には礼拝に参加し、祈ることが当たり前になっていた。
だが、20歳くらいまでは、祈りの中に結構利己的なものが多かった気がしている。

もちろん今でも、個人的な祈りをすることもあるが
その後は、自分以外の存在のために祈ることが多くなったと思う。

それも、歳を重ねるごとに、自分の非力さや存在の小ささ
人間としての能力の限界を感じているからかもしれない。

自力を尽くしても、どうにもならない現実がこの世には存在する。
それを運命と云ってしまえば簡単だが、それでも叶えたい理想が人にはある。


だから、神に祈る。 自分を生かしめているものに祈る。

祈り  2013_c0156104_17154062.jpg

by lampnosizuku | 2013-01-01 17:17 | daily