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哲学舎という名の美術館館長が綴る草想ブログ


by lampnosizuku
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ひとつの塵にしかなれないが・・・祈る


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この一週間、こころは重いままである。
云うまでもなく、今回の大震災による現実を受け止めなければならないからである。

被害の甚大さや、犠牲者の方の想像を絶する多さに
経験したことのない無力感に捉われている。

自然の猛威を前にして、人間の存在が如何に小さなものであるのかを
まざまざと見せ付けられ、深い絶望と哀しみにこころが奪われていた。

原発の脆弱な危険性は、前々から散々指摘されてきたことである。
今起こりつつある深刻な事態は、天災などではなく、明らかな人災である。

人間の叡智を集め開発されたものの中で、失敗という経験をしないものは一つもない。
しかし、その中で失われてゆくいのちは、運命としか云いようがないのであろうか。

それが、人間の限界であり宿命であるというならば
人間にとって、自然死という概念は当てはまらなくなる。

確かに、自然死という言葉は死語になってしまったかもしれない。
自然の摂理によって産み落とされたいのちも、今や、自然に死を迎えることが出来ないのである。

事故死にせよ、病死にせよ、自死にせよ、不条理の中で死を受け入れるしかない。
人間でいることそのことが、哀しいものなのかもしれない。

だから、人間は夢を見、希望を抱き、理想を語るのである。
潜在的な死への畏れから、無意識に癒されようとするのであろう。

僕にとっては、身近な人の死も、災害で犠牲になった人々の死も
現実の哀しみとして受け入れるしかない。

被災して、遺された人々の悲しみは、推し量ることも出来ないが
明日は我が身か、お互い様の気持ちで、少しでも出来ることで支援するしかない。

こんな田舎でも、あちこちに義援金箱が置かれている。
見かける度に、わずかな小銭を入れることしか出来ないが
塵も積もれば山となるである。

天才も人災も、忘れた頃にやって来る。
備えあれば憂いなしであろう。

いつ死が訪れてもいいように、こころや意識を備えておくことを
再認識させられた、今回の大震災であった。

・・・・・・・・・・・・

お彼岸も近いというのに、なごり雪が毎日のように舞う。
蕾を膨らませた梅も、戸惑っている。

三週間前から家出した、猫のシャガール君は戻らないままである。
ダヴィンチ君も、地震の後から家出してしまった。

今年の春は、心の中にまで春雷を落としたようである。

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by lampnosizuku | 2011-03-19 01:00 | daily